A. 概要
仏フレンチ・ラインの定期客船として1935年5月,フランス・ペノエ造船所で竣工。太い3本煙突をもった優美な船容と豪華な内装が特徴。客船史上の最高傑作といわれ,同時代のイギリスの豪華客船クイーン・メリーと巨大さ,豪華さ,速さを競い合った。
B. 技術上の特徴
1. 主要目
ノルマンディー 戦艦大和(参考) 総トン数:
全 長:
垂線間長:
全 幅:
最大喫水:
主 機:
最高出力:
経済出力:
航海速力:79,280t
313.8m
293.2m
35.9m
11.0m
ターボ・エレクトリック,4軸
160,000 shp(後180,000 shp)
130,000 shp
29 kts約45,000t(推定)
263m
244m
38.9m
10.9m
ギアード・タービン,4軸
150,000 shp
16,000 shp
16 kts2. 船 体
全長の長いことがノルマンディーの特徴で,現代のクイーン・エリザベス2よりもさらに30m近く長い。これは高速力発揮のため,造波抵抗を減少させるように決定された。
船が航行すると,船首で左右にかき分けられた水は盛り上がって波の山を作り,その後ろに谷,その後ろにさらに山ができる。波長は船速の2乗に比例するので,船速によって船体に対する波の位置が変化する。このとき船尾に波の山がくると抵抗が減少し,この状態をホロウという。一方谷が来ると抵抗が増え,これをハンプという1)。
これは船首と船尾で発生する波の干渉のため2)で,ホロウの場合船尾で山から下ろうとする流れと,船底から上昇して船尾ではね上がろうとする流れが打ち消しあい,船体後方の波が減少して造波抵抗が減る。
ノルマンディーの設計速力は29ktであり,この速力でホロウとなるよう決められた寸法が垂線間長293.2mであった。
水線下の船体形状も独特で,船首尾部の幅が細い肥痩係数の小さい船形だった。この形状は造波抵抗,摩擦抵抗とも少なく,後のブルーリボン競争で,クイーン・メリーを相手に機関出力の劣るノルマンディーが善戦する要因となった。3. 機 関
蒸気タービンで発電機を駆動,その電力によりモータでプロペラを駆動するターボ・エレクトリック推進が特徴。当時の大型高速船はほとんどギアード・タービン(歯車減速)を用いていたが,大型・高出力用の歯車の製作は意外に難しく,フランスではその実績が十分でなかったことも一因らしい。ターボ・エレクトリック方式は運転の自由度が高く,ギアの騒音が発生せず,後進タービンが不要等の利点を持つ。
モータの回転数,つまりプロペラ回転数は供給電流の周波数によって調節するが,その周波数は発電機回転数,つまりタービン回転数を変えて調節した。現代のエレクトリック推進(ディーゼル・エレクトリック)では機関・発電機回転数は一定に保ち,電流の周波数だけをインバータなどにより変更し,モータの回転数を任意に調節する。つまり機関を最適な回転数に維持したまま,プロペラ回転数を変えられる無段変速機としての機能を持っているが,当時の方式は単なる減速機能のみであった。最大速力における減速比は10:1である。
しかしモータとターボ発電機の接続は変更可能で,低速時には2基の発電機を停止して,残り2基で4基のモータを駆動できる。こうするとタービンの負荷率が大きくなり,タービン効率が高くなって燃料消費量を減らせる。一般にタービン(に限らず機関全般)は最大出力では効率が高く,出力を下げると効率が低下する。そのため低速時には,全タービンを低出力で運転するより,一部のタービンだけを高出力で運転した方が燃料の節約になる。a)ボイラー
ボイラー数:29基
ボイラー形式:ペノエ製3胴水管ボイラー
蒸気条件:圧力28.1kgf/cm2,温度349℃b) 推進用ターボ発電機
基数:4
複式タービン
3相交流
電圧:常用5500V
最高周波数:81Hz/2,430rpmc) 推進用モータ
5,500〜6,000V
合計出力160,000 SHP(118,000 kW)d) 給電用発電機
発電機数:ターボ発電機×6基
合計発電容量:13,200kW,220V(戦艦大和の2.75倍)
C. その他の特徴
1. 外観
近代的で優美な外観はノルマンディーの最大の特徴で,本船を客船史上の最高傑作と言わしめる主因であった。船首は前方へ傾斜したアトランティック・バウとなっており,クイーン・メリーの垂直で古典的な船首とは対照的だった。船首部の横断面も上部の幅が広くフレアーの強いもので,凌波性を良くすると共に甲板面積の増大にも有効だった。上部構造は曲線が多用されており,前面は上から見て丸くなっている。船尾のスムーズな形状とあわせ,空気抵抗を減少させている。30kt以上の高速になると空気抵抗も全抵抗の5%程度を占め,また船の操縦性への影響も無視できなくなる。
太い3本の煙突が印象的で,同じ3本煙突のクリーン・メリーとは太さの違いが際だつ。煙突の断面形状も涙滴形として空気抵抗を減らすなど,細部まで入念な設計となっている。ダミーの第3煙突の存在により空力中心が後ろへずれ,操縦性に好影響があったと言われる。
船体はスムーズかつスマートな曲線で構成され,上部構造も含めて審美性と機能性を見事に両立している。本船の造形には全てに渡って徹底的なこだわりがあるが,それは表面的なスタイリングによるものではなく,機能性を考慮しつつ達成された天才的なデザインの所産である。2. 船室・設備
a) 一等食堂
ノルマンディーの一等食堂の豪華さは今日なお語り継がれ,現在でもそれをモチーフにしたレストランやレストランシップがある程である。アール・デコ様式の装飾で長さ93m,幅14m,高さ8.5mで端から端まで見遥かすような長さだった。
船体の上下・左右・前後のほぼ中心にあり,第2・第3煙突の間,船体の黒色部と白色部の境界あたりに位置する。そのため船体の動揺を最も受けにくい。しかし高速航行時はかなり振動が大きかったようで,テーブルの上のコップが振動で滑って移動したという。
最前方は狭くなっており,この両側を第2煙突へ伸びる左右2分割された煙路が挟む。階下に2層の船室があり,その下はエンジンルームになる。前半は第4ボイラー室,後半は蒸気ターボ発電機室上にある。b) 定員
1等848名,2等670名,3等454名,計1,972名。他の客船より相当少なく,一人当たりスペースが広い。定員が少ない分運賃が高かったのか,その分は国家から助成されていたのかは定かでない。
D. 実 績
1. ブルーリボンの獲得
長距離の大形旅客機の無かった当時,海外への最速の移動手段は大形・高速の汽船だった。特にヨーロッパ−アメリカを結ぶ北大西洋航路は海上の大動脈で,ここをいかに速く航海できるかは船会社にとって重要なセールスポイントだった。そして,最も速く北大西洋を横断した船に与えられた賞がブルーリボンだった。
ヨーロッパからアメリカへの航海を西航,その逆を東航というが,北米メキシコ湾からヨーロッパ北岸へと流れるメキシコ湾流の影響で,同じ船でも東航の方がスピードは速くなる。そのためブルーリボンもそれぞれを別に扱う。
ノルマンディーは設計の当初から世界で最も大きく,豪華で,速い船となるべく計画された。そしてフランス客船でブルーリボンを獲得したものはまだ無かった。プライドの高い(時として根拠が無いように思えるが)フランス人が,本船に掛ける期待は非常に大きなものがあっただろう。
航海の速度は,アメリカ・ヨーロッパそれぞれで海図上の特定の目印を選び,その間を航海するのに要した時間で,両者の距離を割ることで計算する。ノルマンディーの処女航海ではまずフランス北部のル・アーブルからイギリスのサウサンプトンへ寄港,ここからアメリカのニューヨークへ向かう。この場合,サウサンプトン沖のビショップ岩礁からニューヨーク港外のアンブローズ灯船までの2,971浬が記録の対象となる。
その時点での西航のブルーリボン・ホルダーは伊イタリア・ラインのレックス(51,062総t)で,ジブラルタルからアンブローズ灯船までを4日13時間58分,平均速力28.92ktだった。
ノルマンディーは1935年5月30日,サウサンプトンを出港しビショップ岩礁前を通過,一路ニューヨークを目指す。アンブローズ灯船前を通過したのはそれから4日3時間2分後,平均速力29.98ktだった。2. 振動とプロペラ破損
成功裏に処女航海を終えたノルマンディーだったが,船体振動が欠点として浮上した。航海を重ねるにつれその欠点は明白となり,食堂ではテーブル上のコップが振動で移動し,ひねくれた日本人乗客がコップが落ちて割れるまでじっとしていたのを見た乗員が船長に報告,翌日から食事中は速度を落として航行するようになった程だった3)。
高速大型船の船尾震動は現在でも問題となり,最近でもキュナードラインの客船「オリアナ」が荒天中の高速航行で激しい振動を生じ,恐怖を感じた乗客による訴訟騒ぎとなった4)。
水流は船から見ると,船体に近いと低速で,離れるほど高速で流れている。プロペラの翼は一回転する間に低速と高速の流れの中を通る。低速の流れの中では推力が大きく,高速の中では推力が小さくなり,この変動が振動の主因になる。したがってこの振動はプロペラの回転数と翼数の積に比例した基本周波数を持つ5)。多くの構造物が並ぶ船尾付近の水流は複雑で,そこでプロペラを回転させたときの詳細な影響は予測が難しい。
振動低減に効果的なのはプロペラの多翼化である。翼数が多ければ1枚当たりの受け持ち出力が減り,推力変動も小さくなる。しかし翼数は少ない方が翼同士の干渉が少なく推進効率が高いため,3翼のプロペラがよく用いられる。
ノルマンディーの振動は前部プロペラ及び上部構造の何カ所かで激しく,応急対策としてその部分の剛性増加を行った。そしてそのシーズンの航海は早めに切り上げ,ル・アーブルで5カ月かけて改修が行われた。
この改修では4翼の新プロペラへの交換,プロペラ軸ブラケットの形状改善,スラスト軸受けの強化などを行った。しかし新型プロペラは2度にわたって航行中に損失し,その都度残り3軸での航海を余儀無くされた。強度計算されたはずのプロペラの破損は,翼が共振して想定外の力が掛かったことを示唆しており,この部分の構造が不適切であったことを暗示している。
改修により振動はかなり低減されたが解決までには至らず,ノルマンディーの欠点として残った。3. クイーン・メリーとの競争
クイーン・メリーはイギリスのキュナード・ラインが1936年に就航させた豪華客船である。全長は311mとノルマンディーより2.8m短いが,総トン数は80,774tと1,500t弱大きい。外観はキュナード・ラインらしい質実で古典的なものだった。しかし機関出力では200,000SHPと大きく上回り,本船が就航すればブルーリボンを獲得するのは時間の問題と考えられた。
ノルマンディーがそうであるように,クイーン・メリーもまたその建造国の威信を示すべく造られた船であり,世紀の2大客船として両船はことある毎に比較された。そして大西洋の女王の座を巡る両船の競争は,まさに豪華客船時代の絶頂を示していた。
ノルマンディーと同じく世界恐慌の中で資金繰りに苦しみつつ,時の英国皇后の名前を冠したクイーン・メリーは,その本人により命名されて1934年に進水。36年5月,ノルマンディーに遅れること丁度1年で処女航海についた。
船体形状のせいで意外に速力が出なかったのか,堅実なキュナード社らしく機関・船体の馴らしに時間を掛けたのか,3ヶ月間ブルーリボン更新はなかった。しかし8月に西航でビショップ岩礁〜アンブローズ灯船間を4日27分・平均30.14ktで,東航で同3日23時間57分・平均速力30.63ktで航海し,1924年のモーレタニア以来12年振りにイギリス船がブルーリボンを獲得する。これがフランス人のプライド(しばしば根拠が無いように思えるが)を刺激した。4. ブルーリボンの奪還
クイーン・メリーに対抗するため,1936〜37年へかけての冬に大幅な改造が行われた。これらの改造により,出力は180,000SHPへ増加,速力は32ktとなった。改造の主要目は以下の通り。
a) タービンのノズルを増やし蒸気量を増加
b) 主発電機とモーターのオーバーホール
c) プロペラを再度新型の4枚翼のものに変更5. 運用実績
6. 最 期
参考資料
● | デニス・グリフィス Denis Griffiths:豪華客船 スピード競争の物語(初版) Power of
the Great Liners - A History of Atrantic Marine Engineering ,成山堂書店,p.163-165,257,258,1998,\6,600 ちなみにこの本には,ホロウの理由はプロペラの水深が深くなるためと書かれているが,疑わしい。著者は技士なので理論的なことは苦手らしい。 |
● | 野間 恒:豪華客船の文化史(初版),NTT出版,p.192-209,235-240,1993,\3,200 |
1) | 岡田 幸和:艦艇工学入門 理論と実際(初版),海人社,p.49,1997,\3,619 ホロウとハンプの存在は記述してあるが,その理由は書かれていない。肝心なことを何故省略するのか。 「教科書」なるものには理解のために一番肝心な部分で具体的説明が抜けていたり,著者も分からない事柄は分かり切ったことなので説明の必要はないかのような振りをして,読者が気付かずに通り過ぎるのを期待するような記述が意外に多い。 |
2) | 後藤 大三:あッ!船が浮く(初版),ダイゴ,p.194,1991,\2,000 ホロウとハンプは船首・船尾波の干渉によるとは書いてあるが,具体的なメカニズムは書かれていない。何故書かないのか。 |
3) | 2)に同じ,p.240 このエピソードが振動対策前のものか後のものかは不明。 |
4) | 世界の艦船(何号かは現在不詳) |
5) | 2)に同じ,p.231 |