10.死  闘

5月27日0843時,キング・ジョージ5世とロドネーはついにビスマルクを視界に捉えた。さらに重巡ノーフォーク,命令違反を犯してビスマルク攻撃に駆けつけた重巡ドーセットシャーも攻撃位置に近づく。H部隊はビスマルクの射程外に待機し,必要に応じて航空支援を行える体勢を保った。KGVとロドネーは標的面積を最小にするためと,ビスマルクの砲術士官を威嚇するため,正面を向けて横一線に並んで接近した。ビスマルクは艦首左舷前方からまっすぐに接近してくるロドネーを標的に選び,主砲,副砲の射撃準備を開始した。

0847時,ロドネーが射距離約20,000mで発砲を開始し,戦闘が始まった。1分後キング・ジョージ5世も砲撃を開始した。しかしイギリス艦隊の初弾はビスマルクから遥か離れたところに着弾した。0849時ビスマルクの前部主砲4門がロドネーに対し発砲した。約30秒後,ビスマルクの初弾はロドネーの手前1,000mに落下した。第2射は1,000mの遠弾,第3射はロドネーの右舷手前至近距離に着弾し,破片が艦上に飛び散った。第4射は左舷ぎりぎりに遠弾,第5・6射は共に遠弾,第7射は挟夾するも命中せず。ビスマルクは舵の故障により不規則に蛇行を繰り返しており,英独ともになかなか命中弾を得られない。それでもビスマルクの射撃は目標至近に集中し,相変わらず高い精度を持っていた。

均衡が破れたのは最初の砲撃から12分経過した0859時だった。ロドネーの放った5発の16インチ砲弾中の2発がビスマルク前甲板に命中,2番砲塔ブルーノが機能を停止した。その直後,ノーフォークの8インチ砲弾が前部主砲射撃指揮所を破壊,シュナイダー中佐以下の射撃スタッフが死亡した。主砲の管制は後部射撃指揮所に引き継がれ,副長レッヒベルク少佐は後部主砲4門をもってキング・ジョージ5世を攻撃する。ビスマルクの左舷横約11,000mを反航するKGVへの第1射は大きく遠弾になる。第2射はやや遠弾,第3射はやや近弾,第4射で挟夾し,3発が遠弾,1発が近弾だった。次の砲撃は正確な着弾を期待できた。しかしその時後部射撃指揮所の測距儀が敵弾により粉砕され,主砲の方位盤射撃は不可能となる。ビスマルクは実質的にこの時点で戦闘力を喪失した。3番砲塔ツェーザル,4番砲塔ドーラは砲側照準に移って砲撃を継続した。0905時だった。

ロドネーが距離10,000mで魚雷6発を発射したが命中せず。接近したロドネーに対し,後部主砲の砲弾数発が近くに着弾したものの,命中はしなかった。ロドネーとキング・ジョージ5世は主砲と副砲を使い,次々とビスマルクに命中弾を送り込む。0927時,前部のアントンが最後の斉射を行った後沈黙。後部主砲群も0931時の発射を最後に沈黙した。

その後は英戦艦は近距離からほとんど直接照準で砲撃を行い,最接近射距離は2,500m,発射した主砲弾は719発,命中弾は約400発に及んだ。砲弾はあるものは直接,あるものは水面で跳躍してビスマルクの舷側垂直装甲鈑に命中し,それを簡単に貫通していった。しかし弾道がほとんど水平なため喫水線下には命中せず,また中甲板の水平防御甲鈑も破ることができず,主要防御区画内はほぼ無傷のままだった。戦闘開始から1時間半後の1015時,トーヴィー大将は砲撃を中止させ,航続力の限界に達した2戦艦を交戦水域から待避させた。「砲弾ではビスマルクは撃沈不可能である」が彼の言葉であった。

ビスマルク艦内ではそれ以前から自沈作業が進んでいたが,修羅場と化した艦内は混乱を極めていた。トーヴィー大将は魚雷攻撃を命じ,重巡ドーセットシャーが1020時にビスマルクの右舷1.5nmから最初の魚雷を発射するが艦首をかすめ,ついで発射した2発目が命中する。ドーセットシャーは左舷へ回り,1036時にもう1発を命中させる。ビスマルクが沈没したのはその3分後の1039時,北緯48度10分,西経16度12分の地点だった。艦長エルンスト・リンデマン大佐は艦尾から沈む艦のへさきに立ち,艦と運命を共にした。重巡ドーセットシャーと駆逐艦マオリに救出されたビスマルクの生存者は110名,全乗組員の5%だった。


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参考資料
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