| 6.逃避行 |
しかし依然イギリス側に探知されていると考えていたリュッチェンス大将は,無線封鎖を破って西部管区司令部あてに2回の連絡を行う。イギリスはそれを逆探知して三角法によりビスマルクの位置を算出した。
しかしこのときに計算ミスを犯し,ビスマルクの位置を実際より90nm北と誤算した。そのためトーヴィー大将はビスマルクが,実際は南東に進んでいるにもかかわらず,ノルウェーへ戻るため北東へ進んでいると判断,1047時に艦隊進路を反転させる。この結果イギリスの各艦隊はビスマルクとは90度違う方向へ進み始めた。1時間後にイギリスがミスに気付き進路を修正したときには,キング・ジョージ5世とビスマルクの距離は150nmにまで開いていた。
その頃イギリス艦の多くでは燃料に不足をきたし,プリンス・オブ・ウェールズ,ビクトリアス,レパルス,サフォークは補給のため戦線離脱のやむなきに至った。追撃を続けているのはキング・ジョージ5世,ロドネー,ノーフォーク,そして南方のH部隊のアーク・ロイヤルとレナウンだった。しかし25日が終わっても,いまだビスマルクの所在は探知できないままだった。
26日1030時,サン・ナゼール西方700nmを飛行中のカタリナ飛行艇がもやに包まれた海上でビスマルクを発見した。ビスマルクは全力で対空砲火を打ち上げたが,飛行艇は逃げ,イギリス艦隊に報告を伝えた。発見されたビスマルクの位置からロドネーは北東に125nm,キング・ジョージ5世は北に135nm離れており,捕捉するには遠すぎた。しかし南方のH部隊はビスマルクの前方にあたる東南東112nmにおり,その進行を妨害できる位置にあった。
参考資料
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